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母娘の関係で悩んだら
第1章 機能不全家族の中の母と娘
「母から呪いをかけられているんです」
こんな衝撃的な言葉を口にする女性が少なくありません。母娘関係をテーマにしたセミナーでのひとコマです。
どうやら「呪い」というのは、子どもの頃から母親によってかけられ続け、大人になった今でも自分を支配し、運命づけているもののようです。
そして、この呪いから逃れたい、現在の生きにくさの原因は母親との関係性にある、そう自覚しはじめた女性が増えています。最近の「毒親」「毒母」ブームもその表れでしょう。
また、色々な方のお話を聞いていると、子どもの頃から辛かった、という場合と、大人になってからおかしさに気づいた、という場合があるようです。暴力、暴言、ネグレクトといった、いわゆる虐待的な関係だけではなく、
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教育虐待(過度な教育)
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健康虐待(過度な健康管理)
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過干渉
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厳しすぎる家庭内ルール
・・・など、一見、子育てに熱心に見えるような関わり方も不健全と言えます。
そして、問題があるのは母親だけではなく、父親がだんまりで、関りを持たない、ただいるだけの人であったり、家族全体が機能不全な場合がほとんどです。家族というのはひとつのシステムなので、問題があるとバランスをとろうとして全体が歪んできます。
子どもは無力ですから、生き延びるためには母親に従うしかありませんでした。しかし、大人になった今は、誰とどのような付き合い方をするのかは自分で選ぶことができるはずです。それなのになぜ、いまだに母親との関係に苦しむのでしょうか。そして罪悪感に襲われるのはなぜなのでしょうか。
子どもが成長するために必要なもの
子どもが健康に成長するために必要なものには次のようなものがあります。与えるのは両親でなくても、代わりが果たせる大人であれば誰でもかまいません。
① 衣(医)食住
② 無条件の愛情と頻繁な接触
③ 安全
このほかにも、
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家族との時間がある
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友達を持つことが奨励される
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承認される(ほめられる、意見が尊重される)
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教育、しつけ、モデルとなるお手本がある
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公正で一貫したルールがある
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自立、達成、成長が促される
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プライバシーが尊重される ・・・などがあります。
これらが与えられないと、子どもが大人になるために蓄えるべき「愛情・自己承認のタンク」を満たすことができません。このタンクは、自分を認め、他者と健康的に関わるために必要なエネルギー源となるものです。空っぽのタンクは自己否定感、見捨てられ不安、怒りの感情を引き起こし、いずれ、依存症(アルコール依存などの物質嗜癖だけでなく、恋愛依存、共依存などの関係嗜癖も含む)やうつ、人間関係の困難などを引き起こします。
インナーマザーからのメッセージ
母親の機嫌で言うことがころころと変わる(家の中に一貫したルールがない)、友達と遊びに行こうとするとあからさまに不機嫌になる(友達を持つことが奨励されない)、ほめない(成長が促されない)、引き出しやカバンを勝手にのぞかれる(プライバシーが尊重されない)・・・・
こういった行動は、「愛情・自己承認のタンク」を満たさないだけでなく、非言語のメッセージとなってたくさんことを伝えます。
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母親を機嫌よくさせるのは娘の役割だ
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母親をさしおいて楽しんではいけない
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母親を超えてはいけない
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境界(バウンダリー)は侵入されるものだ
言葉で直接、間接に伝えられるものと、このような非言語なメッセージとが、自分の中に取り込まれ(母の価値観を内在化)、「インナーマザーからのメッセージ」として行動の指針となります。
このインナーマザーからのメッセージは意識されることもありますが、無意識に根付いていることも多く、それが自分自身の価値観であるかのように思ってしまっている場合もあります。また、社会から期待されている価値観(自己犠牲的な女性が称賛される、など)も加わります。
インナーマザーに支配されていると、次のような状態になります。
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アンテナが常に外に向けられている
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自己認識が等身大でない(低すぎたり誇大的だったりする)
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境界(バウンダリー)に問題がある
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自分の感情がわからない
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恋愛相手に満たしてもらおうとする
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母親に対しての罪悪感がある ・・・など
母に対する罪悪感と恥の気持ち
母親との関係に息苦しくなって距離を取ろうとしたり、インナーマザーからのメッセージに反することをしようとしたときに、「罪悪感」に苦しめられたことはないでしょうか。
罪悪感とは、規範意識に反していると感じるところから生じる嫌悪の感情です。「こうするべき」と自分が思っていることをしなかったときに、やらなかった自分を責める気持ちになります。この規範意識というものは、時代、場所、社会、文化、コミュニティなどで異なります。たとえば、「親の面倒を見るのは子どもの責任」という考え方がありますが、最近では「介護はプロにおまかせしよう」という価値観も広がってきています。昭和の時代には飲食店はもちろん、会社内での喫煙でさえ普通のことでしたが、今は分煙はもちろん、禁煙の動きが強くなっています。要するに、時代とともに規範というものは変わるということです。自分が当たり前だと思い込んでいる規範がどのようなものか、本当にそうなのか、一度よく考えてみる必要があります。女性の場合にはジェンダーの影響を受けていることも多く、「ケアする性」としての役割が期待されている部分があります。
また、友だちに母親とのことを打ち明けたらびっくりされてしまったり、引かれてしまい、言わなければよかった・・・という経験はないでしょうか。このときに生じるのは「恥」の気持ちです。恥は罪悪感より強烈で、自分を傷つけます。罪悪感は自罰感情なので、ある意味「だめな自分を反省して自分で自分を罰しています」という高尚な態度という捉えができますが、恥は相手から烙印を押されたようなものであり、一方的で救いようがありません。恥よりも罪悪感の方がマシ、なのです。
境界(バウンダリー)について
境界(バウンダリー)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。境界線は見えなくてもさまざまなところに引かれています。
境界とは「自分と他人を区別、尊重し、お互いの安全と存在を確保するために引かれるライン」と定義することができます。境界によってこの世の中は守られていると言っても過言ではありません。国境に始まり、隣地との敷地境界線、部屋と部屋を仕切る壁、持ち物の区別。知らない人に勝手に身体を触らせることなどさせません。他にも、時間を守ることや、仕事上の責任を果たすこと、宗教の自由など、これらもすべて境界線として説明することができます。
境界は、子どもの頃からさまざまな体験を通して身につけていくものですが、これも社会と共に変化していきます。たとえば、セクハラなどの概念はまだ新しいものですが、過去には女性が身体を触られること(身体の境界の侵入)や性的な発言を受けること(性的な境界、尊厳の境界の侵入)は我慢するしかなかった時代がありました。
このように、境界に侵入されていることを我慢しなければならかったり、侵入されていることを、仕方のないこと、当たり前だと思っている場合があります。子どもの頃のことを思い出し、侵入されていた境界がないか確認してみましょう。
身体の境界
私の身体は私のもの。他人がどこまで近づいていいか、触れてもいいかは私が決める。誰かが私の身体を乱暴に扱ったり外見を批判することは許されない。
例:
外見を茶化される、誰かと比較される
親の機嫌で抱きしめられたり、突き放されたりする
責任の境界
私のことには私が責任を負う。自分の問題を他の人のせいにしないし、他の人の責任を私が背負い込むこともない。
例:
母親の機嫌の良し悪しは私に責任がある
母親を幸せにするのは娘である私の役目だ
感情の境界
私の感情は私のもの。誰かに「こう感じるべきだ」と指示されるようなものではない。どう感じるかは私の自由。相手の感情は相手のもの。
例:
母親を怒らせないようにしなければならない
泣いていると「そんなことで泣くんじゃない」と否定されたことがある
持ち物・金銭の境界
私の持ち物やお金を許可なく他人が使うことはできない。その使い道は私が決めることで、他人に指図されない。
例:
カバンや引き出しを勝手に開けられた
預けておいたお年玉をいつの間にか使われた
性的な境界
私の性は私のもの。他人の道具にされたりしない。誰と、いつ、どこで、どこまで性的な関係を持つかは私が決める。
例:
第二次性徴のときに、嫌な顔をされた(もしくは、あからさまに家族の話題にされた)
異性との交際を汚らしいもののように注意された
時間・空間の境界
私の時間をどう使うかは私が決めること。私が決めたプライベートな時間や空間に、他人が許可なく踏み込むことはできない。
例:
部屋に勝手に入られる
遊びに行くとさまざまな理由をつけて責められる
尊厳の境界
私の「人としての価値」を他の人が決めつけることはできない。私には他人には侵せない尊厳と価値がある。
例:
きょうだいと比較される
「役に立たない」「生まなければよかった」「あなたがいなければお父さんと離婚できたのに」などと言われる
思考・価値観の境界
私の考えは私のもの。何を信じ、何を優先するかは自分で選ぶ。価値観を強制されたり、考え方を否定されたりしない。
例:
進路、就職、結婚などの選択は母親の希望が第一優先だった
友だちとの付き合いをやめるように言われたことがある
※ 境界線については「バウンダリー(境界)ワーク」で学ぶことができます。