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Recovering Minds WATARU

ステップ12

更新日:2021年6月29日

ステップ12:これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、このメッセージをアルコホーリクに伝え、そして私たちのすべてのことにこの原理を実行しようと努力した。 


お腹が空いたら何か食べる、喉が渇いたら水分を取る、危険が迫ったらそれを回避する、孤独感を感じたら他人と関わる、性欲が起きたらそれを満たすための何かしらの行動を起こす、これらはすべて本能に従ったナチュラルな行動で、こういった行為自体を責める人はいないと思います。本能とは、授かった命の灯をともし続けながら、子孫を残してゆくために神様から与えられた神聖なものですから、下品なものだと見下したり、また、玩ぶような使い方もするべきではないとAAの書物に記されています。


アディクションの専門家は、「依存症とは本能を司る大脳辺縁系が病気にハイジャックされてしまう疾患である」とよく言います。かみ砕いて言うと、アル中にとって飲酒という行為は、普通の人が食べ物で空腹感を満たしたり、喉が渇いた時に水を飲む行為と同等なわけです。アル中さんに「お酒を止めろ」と言うのは、普通の人に「食事や水分を取るな」と言っているに等しいぐらいハードルの高い事を要求している訳で、家族や医者の親身な助言ぐらいで酒を止めるアル中が皆無なのも理にかなっているのです。現に、多くのアル中が、医者から「お酒止めないと死にますよ」といわれても飲み続けて死んでゆきます。病気が進行して、酒を飲みたいという「本能」が生存本能をもオーバーライドする段階に至るからでしょう。


目先の快楽を満たす本能的行為には数々の種類がありますが、アル中にとっての飲酒という行為は、その中でも究極的に達成感のある行為なのです。どんなに苦境に立たされていても、一杯のお酒は瞬時にそれを解決してくれます。酔いが覚めれば消えてしまう、その場限りの解決ではあるということは百も承知です。アルコールが与えてくれる、このパーフェクトな精神的満足感はアル中ではない酒好きには決して分からないとビックブックの「医師の意見」の章に書かれていて、アルコール依存症者と健常者の埋めがたいギャップはここにあると看破しています。長年、お酒を乱用してきた人は、ある意味、本能を玩んできた人と言えるかも知れません。または、本能を玩ぶ傾向のある人がアル中になるのかも知れません。にわとりか玉子かみたいな言い方ですが、12ステップの根幹はスピリチュアリティであることと、宗教的修行の多くに本能を抑制するような要素があるのは偶然ではないと思います。断酒道場やってるのもお寺さんですよね。


お酒を止めた15年前のある日、教会の地下室のいつもの会場で、いつものミーティングに参加していました。いつものメンバー達の、いつもと変わりない分かち合いを聞くとも無しに聞いていた時に、ふと、思ったのです。今、この瞬間、自分には悩むべき問題が何もない!と。もちろん、このミーティングが終われば、お酒が止まってまだ間もない、問題だらけ自分、将来への不安が山積している現実に戻るのは十分承知していました。でも「今、このひと時」、この会場にいる自分には何も問題がない。「不味いAAコーヒー」をすすりながら、アル中の仲間に囲まれて、安全で、正直な分かち合いの場に身を置かせてもらっている幸せ。そして他の仲間も、この場所に、これを求めて来ているんだと思うとじ~んとしてきました。あの時から自分にとっての本当の回復が始まったような気がします。それまで、お酒からしか得られなかった瞬時に気持ちがフッと楽になる感覚を、回復プログラムが与えてくれた、自分にとって初めての「霊的に目覚め」た瞬間だったのかもしれません。



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